「水の都」三島はなぜ発展したのか 宿場町から別荘、駅前再開発までの土地の歴史
はじめに
静岡県東部の三島市は、東京から新幹線で約1時間の距離にあります。そのため、住まい探しの場で名前が挙がる機会が増えています。市街地の骨格は、古代から続く「交通の要衝」としての役割と、富士山の湧水に支えられた土地条件で形づくられてきました。この記事では、その成り立ちを時代順にたどります。

1. 古代〜中世 国府と三嶋大社の門前町
三島は奈良時代に伊豆国の国府が置かれ、国分寺や国分尼寺が建てられました。三嶋大社がこの地に遷ったことも、まちを発展させた要因です。もともと「国府」と呼ばれていた土地ですが、13世紀末頃から大社にちなんで「三島」と呼ばれるようになったとされています。この門前町が、現在の中心市街地の原型です。
2. 江戸時代 東海道三島宿の繁栄
三島宿は東海道五十三次の11番目の宿場で、箱根峠より西側で最初の宿場町でした。天保14年(1843年)の記録には、本陣2軒、脇本陣3軒、旅籠74軒とあります。箱根越えの前後に旅人が休む場所として、宿場の機能が集まりました。一方で災害にも悩まされています。1685年には大火で宿場町が全焼し、1854年の安政の大地震では街並みが壊滅しました。
3. 明治〜昭和初期 鉄道に取り残されたまちの再生
明治に東海道線が開通しましたが、三島には駅が設置されず、時代に取り残されたまちとなりました。転機は大正期に訪れます。1919年(大正8年)の野戦重砲兵連隊の駐屯でまちは活気を取り戻し始めました。その後、関東大震災と北伊豆震災の被害を経て、モダンなまちに再建されます。
丹那トンネルの計画が出ると、三島町は明治期の二の舞を避けるため、町長が鉄道院総裁に直接請求するなど積極的に誘致しました。1934年(昭和9年)に丹那トンネルが開通し、市街北部を通る現在地に三島駅が開業しています。駅の位置が変わったことで、市街地の重心は駅周辺にも広がっていきました。
4. 湧水と溶岩の地に築かれた別荘 楽寿園の成り立ち
皇族の別邸として始まった
三島の別荘の歴史を語るうえで欠かせないのが、現在の三島駅南側にある楽寿園です。小松宮彰仁親王が明治23年(1890年)に別邸として造営したのが始まりで、昭和27年から三島市が運営しています。
この土地は、もとは社寺の境内でした。古くは小浜山と呼ばれ、江戸時代まで旧愛染院、浅間神社、広瀬神社の社寺域でした。小松宮は、富士山の雪解け水が湧き出す小浜池一帯を別荘と定め、池泉回遊式庭園と邸宅を造営しました。富士山の湧水と溶岩地形がつくる景観が、選地の決め手になったと考えられます。
別荘建築としての価値
1891年(明治24年)に上棟した楽寿館は、材料から装飾デザインまで吟味された、宮家にふさわしい別荘建築です。
- 邸宅は数寄屋造りの様式を備え、京風建築の手法を伝える明治期の代表的な建造物です。
- 館内の襖絵や天井画など210面は、静岡県の文化財になっています。建物は三島市の文化財です。
- 小浜池やせりの背などの庭園と自然林は、国の天然記念物及び名勝に指定されています。
持ち主の変遷
小松宮の没後、1911年(明治44年)に別邸は韓国王世子の李垠の所有となり、昌徳宮と呼ばれました。その後は李王家、緒明家を経て、現在の楽寿園になりました。
湧水の変化
別荘の魅力だった湧水は、のちに大きく変わりました。小浜池はかつて三島湧水群を代表する水量を誇りましたが、1962年(昭和37年)頃から湧水の枯渇が重なり、工業用水の汲み上げとの関係が指摘されています。水辺環境と開発の関係を考える材料になります。
5. 戦後〜高度成長期 新幹線駅の開業と宅地の広がり
1941年(昭和16年)4月に三島町と錦田村が合併して市制を施行し、1954年(昭和29年)には中郷村を編入しました。転機となったのが新幹線です。開業当初、新幹線の駅は設置されませんでしたが、地元の強い要望で1969年(昭和44年)4月にホームが開設されました。これは新幹線の新駅第1号でした。
新幹線の駅の設置後は市内の宅地造成が進み、一番町商店街は活気づき、大型店舗の進出も目立つようになりました。その後は東京都・神奈川県方面への通勤・通学者が増え、1986年(昭和61年)には人口が10万人を突破しています。
6. 平成〜令和 道路網の整備と水辺のまちづくり
1983年に国から「水緑都市モデル地区」に指定され、1995年には「水の郷」に指定されました。湧水を生かした景観や環境整備が、住環境の魅力になっています。道路面では、東駿河湾環状道路が2009年に沼津岡宮ICから三島塚原ICまで、2014年に三島塚原ICから函南塚本ICまで開通しました。
7. 現在 三島駅南口の再開発と、これからの別荘・二拠点居住
三島駅南口の再開発
駅前再開発は長い構想の末に実現した事業です。市が1987年頃に検討を始めましたが、東日本大震災の影響などで一度白紙になりました。その後、2012年に「三島駅周辺グランドデザイン」が策定されました。2020年に都市計画決定、2022年に再開発組合の設立と進み、2024年1月に解体工事、同年4月に新築工事が始まっています。
敷地面積は約1万50㎡、延床面積は約5万5765㎡です。A棟からD棟の計4棟に、医療施設や子育て支援施設、店舗、事務所、住宅が入ります。隣接するB地区では、店舗とホテルが入る建物が計画されています。両地区を通り抜ける広場や歩行者通路が設けられ、人の流れが変わる再開発になるとされています。
現在の別荘・セカンドハウス
現在も、三島には富士山の眺望を売りにした別荘物件があります。たとえば佐野見晴台には、リビングから富士山を一望できる家具付き別荘があり、新幹線で東京から約1時間という点が紹介されています。この立地の良さが、二拠点生活の候補地としても評価されていると言えそうです。
おわりに(不動産の視点)
三島の土地の価値は、国府や宿場、駅、新幹線、道路網といった「交通結節点」としての歴史と、湧水という自然条件が重なって形づくられてきました。明治の別荘造営も、その湧水と景観に支えられたものです。駅前の再開発は、その歴史の新しい一章といえます。住まい探しや売却を考える際には、こうした背景も判断材料の一つになります。
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