| 20261026 山さんブログ その149 青春の記憶まざまざ | 静岡県東部エリアの不動産ならお任せください!

CENTURY21 ワンズエステート

スタッフブログ

  1. スタッフブログ
  2. 20261026 山さんブログ その149 青春の記憶まざまざ

20261026 山さんブログ その149 青春の記憶まざまざ

今回ブログは、昔々その昔(31歳±1歳かな)、故郷の兵庫県赤穂市と家族を後にして、長野県北安曇郡池田町広津という、標高約800㍍の地に赴き、心を同じくする老若男女が、障がい者と健常者が共に支え合って生きる共同生活のアルカディア造りに邁進した夢時代の跡地と時空を再訪したオハナシです…

…約35年程前に建てられた共同生活の場…

上の写真の建物の設計は、早稲田大学理工学部建築学科(当時)の協力を得て、約35年程前に建てられました…地元の大工さんの指導を経ながら、建物の柱に使うカラマツ木の皮むきから自分たち素人集団で取り組む手作業の連続と変遷を経て1年前後で完成し、十数年は当初の志が満ち満ちた使用がされておりましたが、それ以前に宿泊棟として使用していた、小学校(廃校)の校舎が入園者(精神障害者の一人)の放火を原因として消失したため、活動そのもが頓挫し、上の写真の建物も使われなくなりました…夢の跡です…

去る10月7日~8日にかけて現地を訪れ、昔々を懐かしみながら、2月に購入した車で初めての車中泊をした日のご報告です…

…新車購入以来、初めて車中泊した翌朝のこと…

…で、これが翌朝の早朝です…

そもそも、なんの為に36年にもなんなんとする記憶の故郷に行ったかと言いますと…

前述した小学校の廃校を拠点として福祉活動のお手伝いをするに際し、兵庫県赤穂市から当地へ向うに併せ、今だ1歳にならぬ愛犬(ポインター種でラッキーという名前)を連れて行ったのですが、私の愛情不足と配慮不足で、厳寒の1月に死なせてしまったという無念を整理できないまま遙かな年月だけが経過しておりました…

現在の家族犬、キャバリア種のハッピーを手元に迎えてから、約9年半…このハッピーを飼い始めてから特に、その時に同行させたラッキーの事を思い出すことが多々ありました…長野県北安曇郡池田町の山中、標高約800㍍で冬の1月、私が赤穂への帰省から戻ると…施設の管理人O君が…「山下さん、スイマセン、ラッキーが死んでしまいました」と…

寒い寒い1月初旬のこと…もとよりO君を責めることは出来ません…体毛が短いポインター種でありましたのに、服を着せることもせず、O君に世話を押しつけての帰省でしたから、ただただ絶句するばかり…死骸を埋葬したらしき場所だけ確認し、「仕方ないねえ」と、O君に答えただけの時の流れの中で、埋葬された辺りの現場に立ち、長らく黙祷を捧げておりました…その時は哀しみよりも客観的な「死」の事実が認識されるだけで、それほど大きな喪失感を感じていなかったように思われます…冷たいですね、いえ、薄情と言うべきでしょうか…「すまなかったな~」、「ごめんよ…」とつぶやいていたのが凍てつく夕刻のことであったような…

そして、今のハッピーとの生活が10年に満たんとするこの間、36年前に死なせてしまったラッキーの事を思い出すたび、都度、涙ぐんでおりました…ハッピーにかける愛情や時間、その細やかな配慮や心情と、36年前にラッキーと過ごした際の「それら」との差異、と申しますか…

寒かったろうな…

ひもじかったろうな…

寂しかっただろうな…

死ぬ直前まで私の帰りを待っていたんだろうな…

…そんな時間の薄れ行く意識の中で私を呼んでいたんだろうな…「お父さん」、「お父さん」…と

この数年、このことを考えることが特に多くなり、このブログを書いている今の今も涙に暮れています…そんなことが重なり…じっとしていられなくなり、去る10月7日に現地に赴いた次第です…

…ラッキー埋葬の地と思われる辺りの山肌…

埋葬されたのはこの辺りだったかな_(._.)_と,

埋葬したと聞いたのはこの辺りだったかな…と、近辺をうろついてみるものの、それらしき痕跡は見当たらず、この一帯であろうなとの目測に従い、枯れ落ち葉の上に、鶏肉と馬肉を乾燥させた(現在のハッピーの為に造るオヤツ)数片をばらまき、水を撒きながら…

これがその時と同じ、手作りジャーキーです

…周辺に人家が無いことを良いことに、大声で名前を呼び続けておりました…「ラッキー、ラッキー、お父さんが来たよ~」…と、…何度も何度も、更に何度も何度も繰り返し呼びかけておりましたら…自分の愛情不足が招いた自責にたまらなくなり…無性に哀しくて…寂しくて…やがて大泣きをしておりました…

この辺りだったかな、いや、こちらの方だったかな…と、山肌の土を手づかみするたびに涙がぽろぽろ、ぽろぽろ…と…意図せず、落ち葉に覆われた山肌に崩れ落ち、「すまなかったなあ、ごめんよ、ごめんよ」と、彼の名を呼びかけながら、何度も何度も謝る頬を涙が伝って、申し訳なくて、哀しくて…止めども無く涙が山肌に吸い込まれておりました…どれくらいの時間が流れたのでしょう…

当日の夜は風も無く、有るのは静寂と静謐…そして漆黒の闇と、不快とまでは言えない、枯れ落ち葉の匂いを熟成させるかのように天蓋となった樹木の枝葉が醸し出す圧迫感だけであったような気がします…もちろん樹木の枝葉の狭間からは星々が望めたことでしょうが、空を見上げることさえ思いつかず山肌に傅(かしず)くばかり…風はそよとも吹かず…それでもナンとも例えようのない…霊的な大気の振幅とでもいうのでしょうか…感じるのです…どれぐらいの時間経過があったのか…いつしか天を仰ぎ、再度、地に傅き、ラッキーの声なき声を求め、彷徨するように意識が夢遊していたように思われます…

どれぐらいの時間が経過した後か…それがラッキーの魂であったのか、私の錯覚であったのかは分かりませんが、彼の存在を充々と感じさせる大気に包まれた車中のマットに横たわりつ、彼(ラッキー)との思い出を知らぬ間にまたまた手繰っておりました…、が、なんせ36年前のこと…浮遊するぼんやりとした記憶の中で… …ラッキーが走る走る…とは言え私も31歳の青年期…平地の少ない山中の道で抜きつ抜かれつしながら(おそらく、彼が私に合せていたのでしょう)の散歩というか、ランニングをしていたことは思い出せるのです…もちろんリードなんてしてません…彼は自由です…校舎の南側の道を隔てた直ぐ近くにあった狭いグランドの平地でだけは、彼が走る奔る…まさしく飛ぶように疾走する時だけはギブアップだった私…それもまた色濃く残る記憶の断片です…

別の記憶では、一度ならず、繋いでいたロープをかみ切り、少し離れた人家の鶏小屋を襲い、数羽の鶏を昇天させてしまったこと…お詫びに訪れた近所(と言っても100㍍くらい離れていました)の70歳前後の家人が…「しょうがないよ、猟犬だもの」と言って、私を責め立てることもなく、「おやき」を振る舞ってくれたこと…それも2度…顔も名も思い出せず、杣人(そまびと)かと見紛う心優しき老夫婦…とっくに鬼籍に入っているであろうお二人に思いを馳せるひとときの静寂…

また、ある日の夕刻…活動を共にしていた早稲田の学生が研修宿泊しており、そのうちの一人が、「山下さん、教室にナンカ動物が寝ているようなんですが…」と… …瞬間的に、あっ、ラッキーだ、と思い立ち、駆けつけてみると案の定、10人前後の布団が敷かれた中の、私の布団にラッキーがうずくまっておりました…、オマケに、ご丁寧にもその私の布団に「ウンチ」を山のように排便しておりました…

その前後、忙しくしていた私がかまってやらなかったことへのアピールだな…と誰でもが考えつくような事を考えただけでしたから、怒ることもできず、さりとて褒めるわけにもいかず、ただただ、頭を撫でてやっておりました…口から出たのは「すまんかったな、寂しかったんだな…」だけだったような…

春先から秋にかけては屋外での飼育でしたが…その夜だけは他の教室で一緒に過ごしてやったことだけはナントナク思い出せるのです…

しかし、その後は大変でした…ウンチをされた私の布団(赤穂から持ち込んだもの)は、洗っても洗っても匂いが取れないのです…彼がウンチをしてからそれなりの時間が経過していたのでしょうね…彼との思い出で、アクシデント№ワンの記憶です…

車中で思い出せるラッキーの自己主張の極みともいえる色濃い思い出のページや、ぼんやりとして消え入りそうなた思い出や…前述した強烈な思い出にに浸りながらも、行き着くのは、やはり厳寒の1月に死なせてしまったことへと記憶が堂々巡りするたびに、「寒かったろうな」、「寂しかったろうな」…との思いに引き戻されるたび彼の名を呼び、おぼろげな容姿を思い出すごとに、また、名を呼びながら、震えを伴った慟哭を重ねるばかりの夜でした…あんなに泣いたのは、もの心ついてからの生涯で初めてのことでした…よくぞあれだけ泣いたものだと呆れるばかりの今の今の追憶…

… … …

泣き疲れて睡魔に襲われたのでしょうね…気が付いて車窓から東を見ると…「えっ、ここって、こんなに綺麗な朝日が臨めたのか…」と、ドアを開けて撮ったのが下の写真と、上方の車の写真です…

…私だけを?迎えた日輪の神々しさ、上の車の至近から…

車から出て写真を撮っているとき…都合の良い話に聞こえるでしょうが、この時、ラッキーが側に座っているような気がして、横と後ろを振り返っておりました…もちろん、脳の錯覚であることは理解できるのですが、理解を超えた空気感…とでも言いますか…いや、そうあって欲しいと願う宿望の果てに訪れた陶酔感なんでしょうね…たまらず、「ラッキー、いるのか~」…と、二度、三度、四度と呼びかけ、周辺を振り返っておりました…そして、また泣いていました…泣きながら気配を探す目と耳と意識を燭光のような温かい朝の光が私を包むのです…

車中泊した位置と、右側の石垣の上段が小学校のあった場所
この構図は上の写真の右側方向の景観を30分後くらいに撮ったものです
…活動拠点であった、元小学校跡地…

ともあれ…そのような空気感に包まれた名残を背中に感じながら、宿泊棟として使われていた(ラッキー物語のその場所)小学校の跡地を右に見ながら車を走らせ、その昔、活動を共にした早稲田の関係者が設計を担当した「てるてる坊主の館」に初めて立ち寄りましたら…9時半からの開館だと言いながら、8時半から約2時間、館長の高岡妙子さんが付きっきりで館内を案内して下さいました…

…山を降りてから立ち寄った「てるてる坊主」の館
在りし日の浅原六朗

そんな幸運に感謝しながら安曇野の道を帰路にして、何度も訪れた懐かしい白馬三山に見入っておりました…

右上の最奥の山は白馬三山
安曇野を流れる「高瀬川」と北アルプス

因みに、この「高瀬川」は、森鴎外の小説「高瀬舟」の舞台だと長い間、勘違いしていたアンポンタンの私です…あるとき、東京から来たエライ人に、その小説の舞台です…と言って、感心された事がありました…鬼籍から大歩危者の私を笑っていることでしょう…当時の活動に協力的だった井上理事、ごめんなさい_(._.)_

お・わ・り

お問い合わせのイメージ

お問い合わせはこちらから 親切・丁寧に対応いたします!住まいのこと、お金のこと、不動産の素朴な疑問なんでもお気軽にご相談ください

0120-439-051

  • 営業時間:月~金10:00~18:00 / 土日祝10:00~17:00
  • 定休日:水曜日

メールでのお問い合わせ

ページトップ