20260621-2 山さんブログ その-146 タイトル:グリコのおまけ
…さてさてさても…今週をブログ当番とする私の出番は今朝のブログで終りなのですが、先ほどまで読んでいた「致知」の記事で、臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺さんの「涼やかなお話」が、胸にストンと落ちてきましたので転載します…
…この横田南嶺さんのお話は、いつもいつも、「易しく優しく」私たちの心を満たしてゆきます…その理由が今回号で分かりました…35歳で円覚寺の「老師(若い僧たちの教育係りとでもいいますか…)」に抜擢されて、意気込んで若い僧らを指導していたとき、自分の教えが若い僧たちになかなか伝わらない”もどかしさ”を先代管長の足立大進老師に相談したときの「開眼とひらめき」とでも言いますか…
…読後感、爽やかな記事を丸写します…

臨済宗円覚寺派管長
横田南嶺
よこた・なんれい
昭和39年和歌山県新宮市生まれ。62年筑波大学卒業。在学中に出家得度し、卒業と同時に京都建仁寺僧堂で修行。平成3年円覚寺僧堂で修行。11年円覚寺僧堂師家。22年臨済宗円覚寺派管長に就任。29年12月花園大学総長に就任。著書に『人生を照らす禅の言葉』『禅が教える人生の大道』『十牛図に学ぶ』『臨済録に学ぶ』、栗山英樹氏との共著『運を味方にする人の生き方』(いずれも致知出版社)など多数。

馬車馬の如くあれ
森信三(日本を代表する教育者・詩人の1人です:山さん注釈)先生の言葉に「師の偉さが分り出すのは(一)距離的に隔絶していて、年に一回くらいしか逢えない場合(二)さらにはその生身を相見るに由なくなった場合とであろう」(『森信三一日一語』)というものがある。
円覚寺の先代の管長足立大進老師には、私が26歳の時にお目にかかってから、30年ばかりお世話になった。お亡くなりになって6年が経ち、先立って7回忌法要を務めた。師の生身を見ることができなくなって、森先生の仰せの通り、「師の偉さ」をしみじみと思うこの頃である。
私は幼少の頃に身内の死に遭い、更に小学生の頃に同級生の死に遭って、死について深い疑問を持つようになった。それがきっかけとなってお寺で坐禅をするようになった。中学生の頃には、本格的な禅問答の修行も始めた。坐禅をして禅の問答を繰り返していけば、きっと死の問題も解決すると思ったのだ。
大学在学中に都内のお寺で出家して僧となった。大学を出てすぐに京都の禅寺に入門して修行僧として坐禅に打ち込んだ。3年ほどして、しばらく都内のお寺に戻って修行していた。そのお寺は臨済宗円覚寺派であったので、本山から季刊誌が届く。その季刊誌に、当時の管長であった足立老師が、「速達で送った引導」という文章を書かれていた。
老師の知人で、かつて学生時代に円覚寺で坐禅に打ち込んでいた方が、末期のがんに罹って余命幾ばくもないという。老師はお見舞いをなされて、更に速達で手紙を出された。季刊誌にはその内容が書かれていた。一部を引用する。
「君のトレードマークの笑顔を病床に見て安心した 『死』は必定の栖処 安らかに迎えたまへ(中略)医師看護師さん そして家族に『アリガトウ』を忘れずに 妻を愛し 子供を慈しみ 会社の為にも大いに尽くした その誇りをもって『サヨナラ』を 言いなさい 五岳上人の辞世に いざ西に 向いてお先に 出かけます ゆっくりござれ あとの連中 とある 『アリガトウ』の一句に すべてをこめて 安らかに去れ 右 引導申すなり」という文章だった。
これを読んで、今死に臨んでいる方にこういう言葉をかけられるとは驚いた。そしてこういうことを言える禅僧について修行してみようと思ったのだ。
もっともこのような手紙は、誰に対してでも書けるものではない。お互いに長年坐禅して死の問題を見つめてきたからこそ、できるやりとりである。
かくしてまた一から修行をやり直す覚悟で、円覚寺の門を叩いた。玄関で2日間頭を下げて入門を乞う庭詰や、3日間部屋で坐禅を続ける旦過詰も、苦にならぬ。その後ようやく老師にお目にかかることが許される。
老師は50代の終わり頃であるが、すでに管長職も10年を超えていて、威風堂々たるお姿であった。平身低頭してお言葉を待っていると、老師は静かに「これからは馬車馬の如く進め」と仰せになった。
馬車馬とは、「馬車をひく馬」のことであり、「脇見をしないように目の両側に覆いをされることから、脇目もふらずに物事をひたむきにすることのたとえ」として使われる言葉だ。この言葉をいただいて嬉しかった。よし、これからは馬車馬の如く進むのみだと心に誓った。それが老師に30年お仕えする始まりであった。
末期の呼吸
私は、円覚寺に修行に行く前にも、ふるさとの紀州では興国寺の目黒絶海老師に参じ、学生時代に都内の小池心叟老師に参じ、また京都では建仁寺の湊素堂老師にも参じて来た。これから馬車馬の如く進めとは、そんな過去のことにとらわれずに歩めということだ。
坐禅に相当長い間取り組んできたつもりであったが、足立老師から指導いただいたのは、呼吸のことであった。呼吸を長くすることを丁寧にご指導くださった。長い呼吸をしていると、お経を誦んでも息継ぎが少なくなる。老師はお経を誦むときに、何回くらい呼吸をするのかをよく観察されていた。お経を誦む間の息継ぎが多いと、よく注意されたものだ。老師は、般若心経ならば早く誦めば二呼吸くらいで誦めると仰っていた。
老師の著書『もう死んでもいいのですか、ありがとう』(春秋社)には、呼吸について次のように書かれている。
「坐禅をなさるときには、競馬の馬が馬場を何回も走って来たというような荒い呼吸はいけない。あくまで静かに、綿綿密密です。出ているのか入っているのか分からないようにして、そして、下っ腹をゆっくり前へ押し出していって、鼻から細く呼吸がスーッと自然に出ていく。鼻で呼吸しようとしないで、奥歯を噛みしめておいて、下っ腹をゆっくり前に拡げる。ズーッと押し出してごらんなさい。そうすると、鼻から自然に細く息が出ていくんです。そういう呼吸の時の気持ちとしては、あの軽い羽毛(鳥の毛)を鼻先に持ってきても、飛ばないくらいにと昔から言われております。それほど、静かな呼吸をしなければいけないわけです」というのだ。
坐禅の基本は呼吸だとよく仰せになっていた。更に老師は、「末期の一呼吸」ということを指導してくださっていた。
それは、今この一呼吸でこの世とお別れだという気持ちで、坐禅をしろということだ。自分の背後に首切り役人が刀を持っていて控えていると思う。そして、この一呼吸が、終わったところで、バサッと首を落とされる、こういう気持ちで坐れと言われていた。
老師は、この一呼吸で終わりだと思えば、暑さや寒さなどはどうでもよくなってしまい、何の不足もなくなり、何にも言うことがなくなってしまうという。
そういう気持ちで、一呼吸一呼吸を積み重ねていくと、心はいつの間にか清浄無垢になってしまうと教えてくださっていた。
そんな教えをいただいて坐禅に取り組んだものだが、今もって末期の一呼吸というのは至難である。死ぬ迄取り組んでいくつもりである。
なりきれ
老師にご指導いただくうちに、やがて私は修行僧たちを指導する役目を仰せつかるようになった。まだ35歳の頃であった。修行僧を指導する者を「僧堂師家」といい、「老師」という尊称で呼ばれるようになる。私は35歳で「老師」となったのだ。
それまではひたすら馬車馬の如く歩んできた。がむしゃらに修行してきたのだった。ところが、指導する側に立ってみると、思うようにゆかないことが多くなる。
私自身は坐禅をしたくて修行の道に入った。ところが実際には修行道場といっても、お寺に生まれた方がお寺の跡取りとなる為に修行に来ていることも多い。目的意識が異なるのはやむを得ない。そういう方をなんとか指導してやろうと力んでいたのだった。
あるときに、足立老師に今の修行僧はやる気が足りないと愚痴をこぼしてしまったことがあった。その時、老師はしみじみと言われた、「上から引き上げてやろうと思うからいけない、おりてゆかないとだめだ」と。
そして新聞の切り抜きを渡された。幼い姉弟が公園で遊んでいた話が書いてあった。弟が転んでしまった。そこで姉がどうするかと見ていると、手を差し伸べるのではなく、その場に一緒になって転んだのだ。そしてしばらくして弟の顔を見つめて、起き上がろうかと言って共に起き上がったという話が書いてあった。
それを読んでからは、共に坐り共に掃除をし共に食事をし、薪割りや畑仕事も共に行うことを心がけたのだった。
老師はよく若い住職にはあまり多くを語ってはいけないと言われていた。こちらからしゃべるより、とにかく檀家の人や訪ねてくれた方の話を聞くことが大事だというのだ。
「こちらが語る言葉は三つでよい」というのが持論だった。
まず、お寺に誰かが訪ねてきたら、とにかく、お茶でも出して、向こうの言うことをとにかく聞きなさいという。そして話しかけられたら只ひたすら、「ああそう」、「ああそう」と聞き役に徹しなさいと言われた。まずひとつめの言葉は「ああ、そう」だ。この「ああ、そう」だけで、いくらでも話を聞けるのだと仰っていた。
そしてその話がたとえば子供が結婚したとか、孫が学校に入ったとか、うれしい話ならば、最後全部話し終わったときに、「よかったね」と言って喜んであげなさいという。それがつらい話、苦しいことならば、話し終わった後に、「こまったね」と言ってあげればいいのだ。この「ああそう」と「こまったね」と「よかったね」の三つの言葉で済むと仰せになっていた。力量の無い者がべらべらしゃべるとろくなことはないと付け加えられていた。
ここで大事なのは相手の気持ちになりきることだ。禅の修行はなりきることである。悲しんでいる人に会えば、その悲しみをどうにかしようとしても無理だ。その悲しみになりきるのだ。大切な身内を亡くして悲しみに暮れている人がいたら、その悲しみになりきってお経をあげるのだと教えられた。そのために、坐禅をする時には今の一呼吸になりきる修行をしているのだとも教えていただいたのだった。
はじめは馬車馬の如くと教えられ、馬車馬の如くだけでは息が切れるので呼吸の工夫を教えてもらい、そしてその呼吸になりきり、相手になりきることを教えてもらったのである。師の恩をしみじみ思うこの頃である。以上。
…と、まあ、人格を磨くことを人生の目的とした「生き仏」のような方の「言の葉」…
…で、ここでも一首…
言の葉の 染み入るが如 胸ひらく 吸う息吐く息 浄化されおり
…ということで、今週は毎日投稿したブログの余りで「グリコのおまけ」…これにて退散…


